「テレビ東京経済ドキュメンタリー番組「ガイアの夜明け」の 公式ツイッター」がつぶやいた番組の宣伝がありえない!と、炎上したことを、ご存知ですか?
それがこちら
良い給与に、安定した生活…。そんなものは「後回し」という人が、増えてきているんだそうです。「社会の役に立ちたい」という思いで仕事を探す人たち。働くことを通じて、一体なにを掴もうとしているのでしょうか。今夜のガイアは、人生「やりがい」探しの旅。あなたも改めて、考えてみませんか?
— ガイアの夜明け 番組公式ツイッター (@gaia_no_yoake) 2016年3月22日
「高収入よりやりがい」ともとれる文章に、「そんな奴いない」「良い給料に安定した生活が欲しい人の方が多いに決まってる」と批判が集中したのです。
一方で、全く気にしない人もいますし、実際ガイアの夜明けでは、そんな”やりがいある仕事”を求めて活躍している人を多数紹介しています。
やりがいのある仕事をしたいという人がいる一方で、そんな人はいないと批判する人もいる・・・
世の中の意見が二つに割れてしまう理由はなんなのでしょうか。
スポンサーリンク
貧富の差が激しすぎる!
「やりたい仕事がしたい」「やりがいのある仕事がしたい」と思っている人には、考えにくいかもしれませんが、この日本において食べるのがやっとという家族や、仕事をしても全く生活が楽にならない人たちがいるのです。
子供を抱えたシングルマザーや、失われた10年と言われる平成大不況で倒産に巻き込まれた人たち、派遣で食いつないでいたら正社員になれなかった人たち、やっと就職したと思ったら、残業代・ボーナスカットのブラック企業などなど・・・
ここ最近「若者の貧困」として、生活に余裕の無い人たちがどんどんと明るみになってきました。
生活に余裕がないと、心にも余裕はできません。
安い給料でストレスを解消できずに働き、結局身体を壊して負のスパイラルに巻き込まれてしまっている人もいます。
そうなると、まずは食べていくこと、生活していくこと、身体を保つことが先決になってきます。やりたい仕事ややりがいのある仕事よりも、『良い給料に安定した生活』が目標になるのです。
マズローの欲求段階説で見る、安定した仕事とやりがいのある仕事の違い
マズローの欲求段階説というのをご存知でしょうか?
マズローの欲求段階説とは、アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものです。(ウィキペディアより)
人間の欲求は、生理的欲求が土台にあり(食事・睡眠・排泄など)、次に安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求と続きます。
つまり、土台に近い欲求が満たされていないと、それより上の欲求を満たそうと思わないのです。
家庭が貧困している場合、もしくは自分が思っているような暮らしが出来ていない場合、土台から2段目の「安全欲求」が満たされていません。
安全が確保されていない状態では、「社会の役に立ちたい(3番目)」や、「やりたい仕事がしたい、やりがいのある仕事がしたい(4段目や5段目)」とは、なかなか思えないものです。
また、仕事ではなく遊んで暮らしたいという自己実現を目指す人の場合、やりがいのある仕事を求めたがりません。
「良い給料に安定した生活」という安全欲求が満たされた上で、遊んで暮らすという自己実現を目指すことになります。
この場合は、人生の価値観によるでしょう。
安全欲求が満たされない場合、別な悩みを抱えている。
この安全欲求が満たされないと、「私はこのままでいいのだろうか」「こんな生活でいいのだろうか」「何の為に生まれてきたんだろう」などという悩みよりも、「来月も雇ってくれるだろうか」「今月の家賃払えるかしら」「せめて1年に1回は自分にご褒美を買える余裕が欲しい」などの悩みを抱えます。
つまり、「やりたくない仕事をやって人生をつぶすよりは、やりたい仕事をやって人生を謳歌したい」や「やりがいのある仕事をして、社会に貢献したい」という欲求は、安全欲求が満たされているからこそ思えることで、もし仮に、明日食べるご飯が無い、家賃が払えないなどという状況では、そんなことを考える余裕が無いのです。
そういう意味では、やりたい仕事がしたい、やりがいのある仕事がしたいと思える環境にいることは、幸せなことなのかもしれませんね。